『凍りのクジラ』辻村深月

孤独な少女のSukoshi Fushigiな成長物語


本を読むのが大好きで、創作の世界からあらゆることを教わったと思っている高校生の主人公の理帆子は、特にドラえもんがお気に入り。

人々を少し上から目線で見る彼女のクセは、ドラえもんから生まれたSF(すこしふしぎ)を真似して、人々にSF(例:少し不安、少し不在など)を当てはめて遊ぶことだった。

理帆子にだけは優しいダメ男の若尾や、気軽に遊んでくれるカオリなどの友達との一線を感じたときに、先輩の別所と出会う。

理帆子の最大の理解者である別所と話しているうちに、様々なことに気付かされることが多くなった理帆子は別所のカメラのモデルを引き受ける。

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感想


理帆子は序盤はとっても嫌なヤツなんですが、なぜか自分と理帆子を重ね合わせながら読んでしまうことが多かったです。それは、物語の節々に出てくるドラえもんのせいなのかもしれませんが、理帆子の感情は誰もが同感する部分があると思いました。

あとは、「本が好き」ってのはいいなぁと再認識する場面がいくつかあります。それは別所としゃべっている場面であったり、理帆子の感じていることであったり色々ですが、とにかく全体的に「それわかります!」と言いたいシーンがめっちゃ多い作品でとても好きです。愛おしいです。

物語的には途中シビアな展開になったりしますが、会話が多く理帆子が自分を見つめ直すシーンが多く、成長につながっていくんだなと思うとなんだか理帆子が遠い存在になっていくようで寂しい気持ちにもなります。笑

 

あの子は多分、Sukoshi Fuan(少し不安)。


理帆子が友達に対して思っていることです。

こうあるべきだという自分の中で作り上げた型に嵌まろうと必死だから、いつもうまくいかない。友だちがいないという状態が耐えがたいらしく、一人仲の良い相手ができると、その相手にひたすらくっついて歩く。で、今はワタシが彼女の「お友達」だ。

高校生っていうのは、友達関係が自分のステータスになってしまいがちですね。高校生の頃はここまで思ってはいませんでしたが、今の自分ならとても共感できてしまいます。

しかし、高校生なのに友達のことをこんなふうに思ってしまうなんて、本当に大人な考えというか老けすぎているんですよね。

頭がいい人間ってのは孤独だね。人間っていうのは、頭の良さに伴って思考する能力をを持てば持つ程、必然的に孤独にならざるを得ない。

別所からもこんなことを言われています。それは別所も一緒で相談してくる女の子が本当はどうしたいのかが分かってしまうから。

私は『どこでもドア』なんか持ってなかったんだと思い知る。どの友だちにも合わせて溶け込める。どこにでも入っていけると思っていたけど、それは間違いだった。私が持っていたのは『オールマイティパス』に過ぎない。

そして、ある夜孤独に気づいてしまった理帆子は自分がバカだったと気づいてしまいます。ここでもドラえもんの道具が出てきてとても共感してしまいます。嫌な感じな主人公は本当は誰かと一緒にいたい寂しい女子高生なんだなと思うと、とても切ないです。

 

あの時期にこの作品がなかったら、今時分は生きてなかったかもしれない。そう考える瞬間が、僕にはあるよ


本を読むのが大好きで、私は創作の世界から大事なことを全て教わった。戦争の痛みも死別の悲しみも、恋の喜びも。自分が経験する前に、本で予め知っていた。私の現実感が妙に薄いのはそのせいかもしれない。小説や漫画の世界の圧倒的な残酷さに比べ、現実の痛みはどうしたって小さいことが多い。私はそこに感情移入がうまくできない。現実にあったら悲しいことでも、フィクションの世界では、ありふれた取るに足らない出来事。

このように思い、本当の友達はできないまま、薄いつながりの友達のところへ『どこでもドア』を持っていると思う理帆子はSukoshi Fuzai(すこしふざい)でした。別所はそんな話を聞いているうちに、理帆子に言うのが作品による救いの話でした。

本による救いの形を論じるのって、ホラー映画に依る青少年への悪影響を嘆く風潮と表裏一体だから、あんまり好きじゃないけど、それでも本当に面白い本っていうのは人の命を救うことが出来る。その本の中に流れる哲学やメッセージ性すら、そこでは関係ないね。ただただストーリー展開が面白かった、主人公がかっこよかった。そんなことでいいんだ。
来月の新刊が楽しみだから。そんな簡単な原動力が子どもや僕らを生かす

 

このセリフとても好きで、「本が好きなことの何が悪いの?」と理帆子に問いかけているようにも聞こえるセリフでした。本当の友達がいまはいなくても、物語の登場人物やストーリーに救われているのであれば、それは立派な生きる原動力なんだと実感しました。

別所さん、否定するでもなく同情するでもなく、相手に自然と共感できるなんて、「あんんたはできた男過ぎるやろ!」と思ってしまいました。笑